「北壁に舞う」(コロムビアミュージックエンタテインメント)

北壁に舞う

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<後編>
昨日の前編のつづき


長谷川恒男に関する三冊の本を読み、この映画の位置づけなどを理解したところで、DVDを見た。今回が初見となる。


当時(1979年)のクライミング事情については、ほとんど書物の中でしか知らないので、着ているものとか装備とか、そういうものを見られるだけで新鮮に感じる。ザックが意外に大きいんだとか、ザックを引きずりながら登ったりするんだとか、映像の持つ説得力にうならされる。
とくにヘリからの映像がすごい。まるで目の前で登っているかのような距離で、迫力満点の映像を見せつけてくる。ヘリビジョンという緩衝装置を使い、カメラのブレを抑えて撮られているそうで、予想以上に鮮明かつ、安定した映像となっている。
ときどき、彼の息づかいやアブミをカチャカチャ鳴らす音まで入っているのは驚き。テープレコーダーを持って登ったらしいので、彼が自分で録音しつつ、登攀を行っていた、ということなのだろうか。
超望遠レンズによる対岸からの映像は、さすがに映っている人間が小さすぎて、なんだかよく分からない。しかし、それも、大きな壁の中でもぞもぞと動く人間が、いかにちっぽけで無力であるかを如実に語っているとも言える。そしてまた、その小さな人間が、わずかな動きを繰り返すことで、巨大な壁をも登り切ってしまうという事実は、人間の持つ底知れない力、というものも同時に見せつけているように感じられる。


無線交信の会話は、長谷川の側が音声状態が悪く、聞き取りにくいのが残念。時折怒鳴ったりするのは『生きぬくことは冒険だよ』に収録のナンガパルバットの交信録を思い起こさせる。ナンガパルバットの交信録は、あまりにも感情むき出しで、彼の素の部分がよく現われていたが、この映画では、そこまでのことはない。


登頂の瞬間、壁の向こうから雪庇を崩しながら頭を出してくるところは、ちょっと感動的。トレースのない真っ白な雪面に、ゆっくりと姿を現す長谷川恒男。それをヘリで上から眺める。こんな映像は他では見られない。


コマーシャリズムとか見せ物登攀とか言っても、結局、そのプレッシャーの中で、登攀を成功させてしまうのは、やはり彼の力が非凡であることを証明しているのだろう。しかも一撃で成功させるのは、並大抵のことではない。
ただ、撮影隊からの援助を全く受けていないとは言え、常にカメラに見守られ(見張られ)て、トランシーバーで交信しあっている状況は、真の意味での単独とは異なるだろう。
誰にも知らせず、見守られることもなく、純粋に自己との対話を求めて壁を登る、というのとは、別種のものだと思う。
それは、どちらが優れているとか、どちらが良いとか、そういうことではない。
本当に独りで登れば、失敗しても成功してもすべて自分だけのものである。スポンサーや撮影隊、支援者がいれば、失敗は自分だけのことではすまなくなる。
全くの孤独と、プレッシャーの中での単独、どちらも、それぞれの持つ意味は異なるにせよ、辛く厳しいものには違いない。


書籍の「北壁に舞う」と映画の「北壁に舞う」はふたつでひとつ、と考えるのが良さそうに思える。巨大な壁にへばりついた、小さな人間が、いったい何を考えながら登っていたか、書籍を読んで、映像を補足することで、初めて見えてくるものもある。せっかくDVDになったのだから、場面場面で映像と著書を対比させながら見ていくのも面白いかもしれない。


その他、気付いたこと列挙する。
・森田勝についても、少しだけ(ほんの少しだけ)触れられる
・常にヘリを飛ばせるわけではないし、望遠レンズだけでは画面に変化が無さ過ぎるためか、イメージ映像も多い
・当時は、連日、日本の新聞で彼の動向が報道されていたらしい。そんな時代もあったのか、と思う
・時折出てくる腰砕けアニメーションはいったい何?


ちなみに映像特典は以下の通り。
スタッフリスト、長谷川恒男プロフィール、資料室(登攀成功までの足跡、ヨーロッパアルプス三大北壁、グランドジョラス北壁、単独登攀、撮影秘話)