「北壁に舞う」(コロムビアミュージックエンタテインメント)

北壁に舞う

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<前編>


長谷川恒男が、ヨーロッパアルプス三大北壁冬季単独初登攀を完成させることになった、グランド・ジョラス北壁の登攀を追った記録映画。


長谷川恒男は、1991年10月10日、パキスタン・ウルタルII峰において雪崩に巻き込まれて転落死した。
私がクライミングを始めたときには、すでに彼はこの世を去っていたことになる。
そのため、彼の存在を同時代的に感ずることはできなかったが、彼に関する文献は多く、それを読むことで、彼のことを追体験することはできた。


彼についての文献に関しては、過去にまとめたことがあるのだが、「北壁に舞う」のDVDを見るにあたり、もう一度読み返してみることにした。
参考:長谷川恒男関連書籍(登攀図書室)


ただし、現在、新刊の在庫があるのは、「長谷川恒男 虚空の登攀者」のみで、他は品切れか絶版。
以下の感想は、「北壁に舞う」の舞台、グランド・ジョラス北壁登攀を中心に書いている。


「長谷川恒男 虚空の登攀者」(中公文庫/佐瀬稔)
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長谷川恒男 虚空の登攀者
佐瀬 稔
中央公論社 (1998/05)
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彼の人生を俯瞰するには、まずはこの一冊から。
長谷川恒男に関する基本文献といってもいい。
ベビーブーム世代の800万人の中から、登山というジャンルで飛び出してきた男。不器用で上手く感情を表に出すことができず、周りから避けられたり、批判されることが多い男。でも、本当は、優しくて寂しがりやな男。そんな長谷川の姿を、山岳ノンフィクションの巨匠佐瀬稔が描く。


あとがきに、「北壁に舞う」の撮影について、長谷川が佐瀬に送った手紙が紹介されている。

私が感じますにはヘリコプターが登攀者に接近する場合、何もないよりははるかに困難な登攀になります。私は記録をフィルムに残したい、という思いで、そうした危険を許せるかぎり許し、このグランド・ジョラスの登攀を行ったつもりです。

この手紙に対し、佐瀬は、『勇ましい、というよりは、痛ましいと感じます』と書いている。
単独とはいえ、撮影隊が同行していたのでは、その援助をいくらかでも受けていたのではないか、と邪推されるのもしかたがない。そういう世間の批判に対し、「そうじゃない、あくまでも単独で登ったんだ」という長谷川の悲痛な叫びが、佐瀬には聞こえていたようだ。


「北壁に舞う」という映画が、彼の人生の中で、どういう位置づけにあるか、そして、この映画が公開された当時、日本がどういう状況にあったか、その背景を知るためにともかく読んでおきたい一冊。


「北壁に舞う-生きぬくことが冒険だ」(集英社文庫/長谷川恒男)
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映画「北壁に舞う」と表裏一体の存在となる書籍版。
カメラで撮影されながら、グランド・ジョラス北壁で、彼は何を考えながら登っていたのか。
語られるのは、壁のことだけではなく、これまでの人生から、山に対する想い、単独である理由、など種々さまざま。
独りで登っていると、いろいろな想いが、脳裏を駆けめぐるのは分かる気がする。単なる一般縦走の単独行であっても、歩きながら、いろいろなことが頭に浮かんでは消えていくものだ。そんな、頭をよぎる雑多な想いを、そのまま文章にしたような雰囲気の著書。
話の焦点は一点に定まらず、あっちへ行ったり、こっちへ行ったり。進んだり、戻ったり、繰り返したり。千々に乱れる登攀中の心の揺れをストレートに表現しているとも言える。


初めて本書を読んだときには、彼の思考にいたく感銘を受けたものだが、今読み返すと、なんだか嘘くさく感じる部分も多く、冷めた目で読み進めてしまった。
初読はクライミングを始めて間もない頃だったので、あのころは、純粋で、あらゆることが新鮮に見えたのかもしれない。当時の感想を読み返すと気恥ずかしく思う部分もある。当時「人生を語る名文」と思った箇所も、今では、むしろ、わざとらしさというか、あざとさが見え隠れして、素直に受け取れない。(単独登攀にはある種必要な部分なのかもしれないが)自己陶酔的なものも、至るところで感じてしまった。
おそらく、それは単に、自分がいつの間にかスレてしまっただけなのだろうと思う。もっとクライミングの経験を積み、年月を経てから読み返せば、また違った感想を言うに違いない。本は自分を映す鏡なのだから。


「生きぬくことは冒険だよ」(集英社文庫/長谷川恒男)
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生きぬくことは冒険だよ
長谷川 恒男 長谷川 昌美 小田 豊二
集英社 (1998/03)
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長谷川恒男の死後にまとめられた遺稿集。三大北壁の話も出てくるが、登攀自体の描写はあっさり終わる。アイガーの登攀など、二日目から登頂した七日目までわずか五行で流してしまうというスピードだ。ここで語られるのは、登攀そのものではなく、主に山とか人生とかクライミングとか、そういった内面的な部分が大きい。
「北壁に舞う」の映画については、

山に登らない人にも、その映像を通して、「登山とはこういうものか」と推測し、解釈し、何かを感じてもらえたら素晴らしいことだと思う。

と書いている。
講演録やインタビューもグランド・ジョラス北壁の話が中心だが、内容は、他で書いているものとあまり変わらず、目新しいものではない。




長くなったので、映画本編は、明日の後編で。