「梅里雪山 十七人の友を探して」(山と溪谷社/小林尚礼)

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梅里雪山―十七人の友を探して



1991年に起こった日本における海外登山史上最大の山岳遭難事故。中国雲南省にある梅里雪山(メイリーシュエシャン)で17人もの命が一度に奪われた。
著者は、事故を起こした登山隊には参加していなかったが、事故の報を聞き、現地には向かった。しかし、結局悪天が続いたため救援活動は打ち切られ、何もできないまま帰国。
それから五年後、再挑戦のため、梅里雪山の頂きを目指すものの、頂上まであとわずかというところで、登頂に失敗。
さらに二年後。著者が都会の生活に復帰した頃、思わぬ知らせがもたらされた。梅里雪山の氷河から遭難者の遺体が発見された、というものだった。そして、その知らせは、著者の人生をも大きく揺るがすこととなった。



本を開いて、まず目に飛び込んでくるのは、美しい写真の数々。カラー写真を多用し、梅里雪山や山麓の明永(ミンヨン)村の美しさが伝わってくる。と、ともに、遺体の写真や遺族が祈りを捧げる様子など、厳粛な気分にさせられる写真も多い。


著者は、遺体捜索のため、2年間で12ヶ月を山麓で過ごした。村人たちと生活をともにし、明永村の四季折々の姿を知るうち、聖山の持つ意味も知っていった。
初めて滞在したときに村人から「聖山とは、親のような存在だ」と言われた。そのときには、はっきりとは意味を理解することができなかった。数年後、その言葉の持つ意味をあらためて知ったとき、著者の中で、登る対象として考えていた“梅里雪山”が、聖山“カワカブ”へと変化していた。
村人たちにとって、梅里雪山は、聖なる山であり、侵してはならない存在であった。そこにズカズカと乗り込んできた遠征隊に敵意を持つのもやむを得ない。第1次から3次までの遠征隊は、何らかの妨害を受けてきた。


世界中にはかつて、そうした聖山がたくさんあったのだろう。近代登山の高まりとともに、それらは征服の対象となり、(現地の人々にとっては)穢されていった。それは理屈ではなく、精神の問題。「頂上は踏まない」といっても、登ること自体がすでに畏れおおいことなのだ。アルピニズムの台頭により、多くの困難が克服され、人の挑戦はとどまることを知ることなく突き進んでいった。しかし、それでも侵してはいけない領域は、未だに確かに存在していることを認識しなければならない。山に登るものとして、現地の人々の心情を忘れてはいけない。


遺体捜索の様子と同時に描かれるのが、素朴ではあるが美しい村の風景。
春には桃が咲き、夏には松茸が採れる。成長する子どもたち、死んでゆく人たち。三度の巡礼と四つの聖地の探索。
単に山に登るための通過点でしかなかったときには気づかなかった様々なものが、著者の目に入ってきた。人の優しさ、と同時によそ者に対する厳しさ。聖山に対する深い想い。本書を読み進めるうちに、それらの変化を、読者は著者と同時に心に刻んでゆく。
明永村が急激に観光地化していく様子は、寂しさを感ずる。いま現在、「梅里雪山」でインターネット検索すると、出てくるのは観光目的のサイトがほとんどだ。しかし、その変化の是非も、外部の人間がいうべきことではないのかもしれない。


この本は、遭難記録でもなければ、遠征隊のドキュメントでもない。旅行記や紀行でもない。
言ってみれば、著者と十七人の魂の旅の履歴であり、壮大なる鎮魂の碑であるのだろう。


カワカブは現在も未踏峰のまま存在し続けている。
願わくば、このまま静かに永遠の時を刻み続けてほしいと思う。


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