「イカロスの山(第6巻)」(講談社/塀内夏子)

【bk1】/【amazon】
イカロスの山 6 (6)


今回の帯は、片山右京

男には
目に見えないものに、
命を賭ける瞬間がある

とのこと。


物語としては、いよいよクライマックス。
C6から頂上直下まで。アメリカ隊との初登レースも佳境。頂上まであと15−16ピッチだというのに、まだまだ北壁は試練を課してくる。


全体として、ストーリーだけ見れば、充分面白い。この巻は、靖子の出番もほとんどなかったし。純粋に山の凄さを見せるシーンもたくさんある。
とくに、「星と嵐」や「夜間アタック」の見開きにはぐっと来た。こういう決めゴマの使い方は抜群だと思う。満月の下でのアタック描写や、太陽まで登る、という部分もなかなか。このあたりはベテランの貫禄か。
(夜間アタックの見開きが、あと100m足らずで頂上なのに、まるで谷間にいるかのような描写なのは置いておくとして…)


恒例になりつつあるので、一応、つっこんでおきますね。
アメリカ隊、クレバスがあって進めないのは判りますが、そこから先に進むのに「はしごと9ミリのザイル10本」っていったい…。そこまでいったら自分たちでなんとかしてください。しかし、最終キャンプのC6にまでそこまでの余剰装備、人員を投入しているというのがまたすごいですね。ラッセルしながら、少なくとも6人がぞろぞろ登ってくるんだから。このルートなら、だれでも登頂できそうな気がします。
・p40。フィフィを使って休むシーン。それ自体は、印象的だし、気持ちの良さも判ります。が、ロープの結び方、一本しかないハーケン(と思われる)に全体重をかけてしまう、ハーネス(というかスワミベルト(腰部分だけのハーネス))が大いに不安、カラビナの安全環がしまっていない……、ともかく、これだと墜ちますから。
・p49。ルンゼに出たら、突然バイルを取り出してきました。これはまあ、いままでもずっとそうですね。C5を出発するときにはたしかに手にしていたはずなのに、どこいっていたのでしょうか。ザックに着けてる様子もないし。ザックの中にしまっていた、ということにしておきます。
・そのルンゼトラバース。緊張感の描写はいいです。落石と雪崩をかいくぐりながら、というのもドキドキさせられました。ただ、中途半端にねじ込んだアイススクリュー1本で体重を支える、というのはいかがなものでしょうか。だったらバイルを打ち込んでほしいものです。さらにその中途半端なままで、中間支点を取ってしまうとは…。せめてタイオフに…。これもずーっと以前からこういう描写なので、作者がそういうものだと思っているのでしょうね。逆に言うと、何を参考にこの描写をしているのか、そっちのほうに興味がでてきます。
・そもそも、このルンゼをトラバースするなら、ルンゼ手前でピッチを切ったほうがいいでしょうね。広いテラスになっているし、ロープの長さが足りるかどうかも判りません。で、「ザイルを持っていかれる」という意味はなんなのでしょう? 何故にロープを肩にかけていたり、ザックの横に(固定もせず)引っかけて登っているのでしょうか。ロープを肩にかけて登るって、非常に登りづらいと思います。C5で退却不可能、となった段階で、ロープは必要量のみに減らすべきだったのでは。余計なロープを2本も3本も持ってるとは、そうとう余裕があるのでしょうね。結局、頂上まで9ミリシングル1本で登ってしまったみたいだし。何に使うつもりだったのでしょうか。ああ、下降の懸垂のためですか?
・p179の墜落シーンでは、ハーケンにカラビナとロープを直掛けしています。まあこれは幻だったから、別にいいのかもしれません。








……それで、「イシュパータ」の意味は…????
(検索すると、パキスタンのカラシュ族のことばで、「こんにちは」の意味だそうですが、そんな名前でいいのでしょうか。「こんにちは峰」?)