「密閉山脈」(中公文庫など/森村誠一)

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影山と真柄は、冬の八ヶ岳山中で、倒れていた貴久子を発見した。彼女は、職場での失恋から自殺しようと山に来ていたのだった。二人は彼女を遭難者として救助したが、その後、影山、真柄は二人とも貴久子に惹かれていった。そんな中、喜久子は影山と結婚することを決め、それを真柄にも伝えた。
五月末、K岳北壁の登攀を計画する影山と真柄。しかし、直前になって真柄は参加を辞退する。やむなく単独で壁に向かう影山。現地の宿には喜久子がいた。二人には約束があった。山と街で灯火の点滅のやり取りをして、二人だけの愛の交感をしよう、というものだった。
そして、約束の夜。
影山が山から送ってきたのは、約束の合図ではなく、遭難信号だった。
翌日、遭難救助隊がK岳山頂で影山の遺体を発見する。
現場の状況から、それは落石による事故として処理された。しかし、そこに疑問を持った男がいた。それは、救助隊隊長の熊耳だった。


森村誠一の山岳ミステリは、かつて「未踏峰」を読んだことがあったが、それほど面白いとは思えず、以降、全く関心の枠外にあった。今回、テレビドラマ化されるということで、事前の予習、くらいの気軽な気分で読み始めた。


一言でいえば、こんなすごい小説をなぜ今まで読まなかったのか、と悔やまれるほどのすばらしい作品であった。
ミステリとしても山岳小説としても良くできていると思う。
ミステリ的要素としては、「密室」と「アリバイ」という2つのトリックがある。
登場人物はごく限られている。影山、真柄、貴久子、そして警察の熊耳。このうち影山が死んだのだから、もう犯人は限定されてしまう。
にもかかわらず、読ませるのだ。


現場であるK岳山頂付近は積雪があり、一般登山道から何者かが登った形跡はなかった。岩壁からなら現場に近づくことは可能だが、相当の時間がかかってしまう。これが「密室」状況を作り出す。
また、犯人は遭難信号から約1時間後に、宿にいる貴久子のもとに現れた。遺体発見現場はK岳山頂。いくら急いで降りたとしても山頂から1時間では絶対に下山できない。これが完璧な「アリバイ」となっている。
そのほか、徐々に現れる物的証拠、状況証拠が犯人を指し示すが、それを追求しようとすると、犯人は巧緻な「逃げ」を用意してあり、どれもが決定的な証拠とはなり得ず、追い詰めることができない。
そもそも、「密室」と「アリバイ」を崩せない限り、どう考えても彼に犯行は不可能、ということになってしまう。
犯人は彼でしかありえない、と思い追い続ける警察と犯人とのやり取りは、息詰まる心理戦のようで、読んでいてどきどきしてくる。


山岳要素としては、K岳の岩壁登攀。そして(少し唐突に思えるが)K2への遠征、ブライトホルン北壁登攀、が描かれる。書かれたのが昭和46年のことだけあって、岩登りの描写は今から見ると古臭く感じるが、当時の状況はよく知らないので、「ここがおかしい」というのはあえて指摘しない。そういう細かい部分とは関係なく、登攀の緊張感は十二分に伝わってくる。
ちなみにK岳は鹿島槍ヶ岳がモデルだろう。「隠れの里(カクネ里)」「赤杭尾根(赤岩尾根)」「樽ヶ岩の小屋(冷池山荘)」「奥村田(大谷原)」という地名が出てくる。前二つは名前も似ている。ただ、北壁頂上直下の『赤い壁』と呼ばれるオーバーハング帯の通過が物語のキーポイントとなるのだが、そういう部分は実際には存在せず、それゆえに、山名も架空のものとしたのでは、と思われる。


ラストが近づくにつれ、物語の展開は加速度を増していく。
K2登攀と日本での捜査が交互に描かれ、双方がクライマックスを迎え始めると、読んでいるほうも止まらなくなってくる。
最後に明かされる犯人の意思。その悪意には、あまりの恐ろしさに背筋が震えるほどだった。登山家の心情の裏と表、本音と建前をえぐりだしているようであり、ある意味衝撃的だった。
後味の良いラストではないが、トリックも動機もうまくまとまっていると思う。


ヒロインの貴久子のどうしようもなく憎らしいキャラクターに途中挫折しかけたが、最後まで読んでよかった。
これは、山岳ミステリの歴史に残る大傑作でしょう。
「密閉山脈」は漫画版も出ているようで、機会があったら探してみたい。

密閉山脈